愛知県犬山にある博物館「明治村」へ行ってきました。
主に明治~大正時代を中心とした建物が保管されており、多くの建物が重要文化財であったり近代化産業遺産群として指定されています。
この時代独特の和洋折衷の建物も多く、好きな人にはたまらない博物館です。
ただし…広大な敷地に山中なのでスニーカーと汗拭きタオルは必須ですよ…!
その中にある、森鴎外・夏目漱石住宅を覗いてきました。
この建物であの「吾輩は猫である」が執筆されたそうです。
夏目漱石といえばオノトを愛用していたことで有名ですが、
この家に住んでいた頃は万年筆ではなく付けペンを使っていた時代です。
明治40年頃から万年筆を使い始めたそうですので、この家を離れた直後ということになります。
夏目漱石が、またはオノトが、お好きな方ならご存知かもしれませんが、
実は漱石はオノトにたどり着くまでに2つの万年筆エピソードを持っています。
1つめのエピソードは明治33年。
漱石がイギリスに留学へ旅立つ際に親戚が1本の万年筆を贈っています。
当時イギリスまでの渡航には1カ月ちょっと。
なんとイギリスにたどり着く前の船内で漱石は鉄棒で器械体操の真似事をしていて
万年筆をポキっと折ってしまいます!
親戚からプレゼントされた当時高級品の万年筆を鉄棒で折ってしまうとは…
器械体操が得意だったとはいえ、なぜ万年筆を持ち歩いていてそんな事をしたのか…
おっちょこちょいです漱石先生…
ここからしばらくは付けペンで執筆をする漱石なのでした。
時は過ぎ、万年筆ってやっぱり実用的じゃないか?と思い至った漱石は丸善でペリカン万年筆を購入します。
これが2つ目のエピソードです。
ここで言うペリカン万年筆とは、私たちには馴染みのあるスーベレーンのペリカンではなく、
デ・ラ・ルー社の「ペリカン」というモデルです。
詳しくは「余と万年筆」というエッセイにペリカンに悪態をつきながらも
最後には未練が残っている漱石の様子がコミカルに描かれています。
このエッセイには漱石はペリカンを見限り、またペリカンも漱石に愛想をつかしたと書かれており、
漱石らしいクスっと笑ってしまう表現です。
短いエッセイなのでご興味あればぜひご覧ください♪
そしてその未練からもう一度万年筆にチャレンジしてみよう!と手にしたのが
ペリカンと姉妹にあたる「オノト」なのです。
残念ながら当時のデ・ラ・ルー社のオノトは今はもうなかなかお目にはかかれませんが、
その名を遺すべく丸善から今も「オノト」モデルが発売され続けています。
ちなみに漱石、ブルーブラックが嫌いで、インクはセピア色を使っていたそうです。
キャップリングは漱石愛用の特注の原稿用紙に描かれていた龍をイメージし、
デザインされています。
文豪が愛した万年筆。
それぞれにエピソードがあります。
こうして彼らの遺したものに触れてみるのも万年筆の楽しみの一つではないでしょうか。
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