さて、長らくおつきあいをいただきました
「パイロット 65」についての話も今回が最後となります。
今回取り上げてきた3回にわたって取り上げてきた「パイロット 65」という万年筆は、1983年にパイロット萬年筆株式会社の創立65周年創立は(1918年(大正7年))を記念して発売されたモデル。
偶然ではありますが、1883年にL.E.ウォーターマンが万年筆を発明してからちょうど100年目に当たる年でした。
創立記念の記念で限定品を発売するということは現在でも多くのメーカーに見られます。
代表的なところでは「パーカー 75」もパーカーの創立75周年を記念して開発されたモデルです。
この「パイロット 65」はパイロットとして初めて市場に発売した創立記念モデルでした。
その分、気合の入り方を社長挨拶から感じ取ることができます。
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“本製品は当社創立65周年を記念し、限定本数で特別販売させていただいたものです。
万年筆づくり65年の技術と経験を総結集したその品質は、現在望みうる最高のものであると自負いたしております。
手づくりのいわば「古き良さ」に最新技術を加え、必ずやご満足いただけるものと確信いたす次第でございます。”
(説明書引用)
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パイロットのこのモデルに対する力の入れようが伝わってくる文章です。
「パイロット 65」に採用された様々な仕様は、現在でもパイロットの多くモデルにおいてベースとなっています。
パーツごとに具体的に説明をしてモデル全体をご覧頂ければと思います。
▪ボディ及びクリップデザイン
“外観フォルムは、昭和初期にパイロット独自のスタイルとして一世を風靡したバランス型を採用しました。
この伝統あるボディに最新の表面加飾技術を駆使して、手にやさしくなじむ精緻なパターンを施しました。
また、太さや重さ、バランス等すべてについて細かな配慮を尽くしました”
(説明書引用)
また、パイロットHP内の「CUSTOM」シリーズ紹介ページの「CUSTOM 67」にも下記のような記載があります。
“PILOT創立当時、PILOTを世界へ広めるきっかけとなった「ダンヒル・ナミキ万年筆」
そのイメージを踏襲した創立65周年記念万年筆「PILOT65」を受け継ぎ、伝統的なフォルムで登場。現在のカスタム74シリーズにも通じるデザインに。”
左から…
▪カスタム65
▪カスタム
▪シルバーン
「パイロット 65」のデザインの基調となるものは戦前の自社製品であり、伝統的なバランス型のフォルムを採用したことになります。
いずれの文にも記載がありませんが、現在のヘリテイジ以外のすべてのカスタムシリーズにも使用されている玉クリップも、ボディと同じく1930年代のパイロットに多くみられた仕様です。
「パイロット 65」以前のパイロット製品は、ほとんどのモデルがベスト型でかつ落とし込み勘合が採用されておりクリップはほとんどが扁平な長方形を基調にしていました。
一部レディモデル向けには細身のクリップが存在していましたが、玉クリップ仕様のモデルはごく少数の復刻品を除いては寡聞にして存じ上げません。
このモデルで採用された黒軸のバランス型でネジ式勘合という仕様は、よくも悪くも現在のパイロットの製品ラインナップの原型になっていることがお分かりいただけるかと思います。
キャップ/胴軸部分に施されたバーレイコーン模様も以後のパイロット製品で度々採用されています。
製品本体の重量は、樹脂製らしく軽量(約20g)で、はじめて握るときはほとんどの方が思ったよりも軽いと感じられると思います。
軸表面に施されたバーレイコーンとネジ式勘合にも関わらずキャップポスト時のガタツキが少ないことから長時間でも筆記でも疲れを感じづらく、その軸径は欧米に比べて小柄な日本人の手にもぴったりと収まるサイズ感とバランスを実現しています。
▪鞘リング(キャップリング)
“まばゆい光をはなつ鞘リング(22金硬質メッキ)には「忍冬文(にんとうもん)」をあしらいました。
法隆寺の玉虫厨子にも見られるこの文様は、文化の象徴とて《PILOT 65》にこそふさわしいものです。
また鞘部リングに、「65」の数字とともに、製造番号が刻まれています。限られた本数だけ、一本一本を丹念に仕上げた、その品質に対する誇りと自信を、ナンバーに託しました”
(説明書引用)
「パイロット 65」の見た目上で大きな特徴となっている「忍冬文」があしらわれた鞘リング。
シルクロードを通って伝来したといわれる唐草模様をモチーフに優美な文様が入っています。
このキャップリング装飾についてはぱっと見では少しおしゃれなキャップリングぐらいの印象でとどまってしまいそうですが、見方によってはとても珍しい仕様といえるかもしれません。
もちろん80周年「四神」と90周年「朱鷺」などの蒔絵の製品でもキャップリングに装飾がほどこされています。
また、キャップや軸部分をシルバーなどの素材によりオーバーレイで装飾したものは戦前のパイロットはもちろんウォーターマンなどに多数あります。
しかし、「パイロット 65」のようにキャップリング部分だけをオーバーレイで仕上げてあるのはパイロット製品のなかでも珍しく、他メーカーを含めてもあまり見ない仕様で、非常に凝った作りになっているといえます。
「65」部分は透かし、シリアル部分は素彫り。
忍冬文模様との調和を崩さない控えめな印象です。
左から…
▪カスタム65クリップ
▪カスタム65尻軸
▪カスタム74初期型
▪カスタム74初期型尻軸
たいへん個人的な嗜好ですが「パイロット 65」の忍冬文で飾られた鞘リングとバーレイコーンの軸の組み合わせと細身のクリップと尻軸リングの構成は、一見シンプルには見えますが、パイロットの歴代製品の中でも一二を争う優美なデザインだと思っています。
そして、この年代に採用されていたクリップと尻軸リングは現行品よりもかなり細身にデザインされており、私個人としては輝きが控えめであることが却って華やかに感じられるので、とても、、とても気に入っている部分です。
▪ペン先
“独特の弾力をかもし出す大型金ペン(14金)の先端に、耐摩耗合金イリドスミンを熔着。
ソフトな紙あたりと、600万字まで筆記できる抜群の耐摩耗性をもたせました。
さらに《PILOT 65》では、当社技術顧問で万年筆づくりの権威として著名な大坂頴一が、ペン先を一本一本、吟味調製しました。”
(説明書引用)
万年筆の心臓部といえるペン先。
パイロットが純国産の万年筆製造を目指して、ペンポイントの原材料を北海道で発見しそれをペン先に溶接するまでには、一本の映画にできるような抱腹絶倒のストーリーがあります。
純国産化に成功したパイロットは、現在でもペン先の製造を自社一貫で製造しています。
“PILOTは1918年に初めての純国産万年筆を製造しました。
以来、今でも全ての部品を純国産にこだわり、ペン先の原料となる金属の合金から、
最終の仕上げまで自社で一貫製造しています。”
(PILOT HP引用)
かつては、パーカーやシェーファーなどでも自社内でペンポイントの製造をおこなっていましたが、現在では私が知りうる限りで自社にてペンポイント製造まで行っている万年筆メーカはパイロット一社のみとなっています。
また余談ですが、現在でも創業時のペンポイントに近い組成を採用しているようです。
ロマンがあります。
“万年筆のペン先。ペンポイントは今では合成で作られており、そのために配合はメーカーごとに個性がある。いろいろ調べたところ、
あるメーカーの製品は北海道産の砂白金と非常によく似た組成ばかりで、そこにはこだわりが感じられた。”
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話がひたすらに脱線していて恐縮ですが「パイロット 65」で採用されたペン先は現在の10号ペン先に当たるサイズです。
その後、3.5.10.15.30号とラインナップを増やすカスタムシリーズの原型となるペン先です。
このモデルのために設計されたオープン型のペン先は、当時に珍しくほとんどすべてが中字で用意されごく少数だけ太字の製造がおこなわれました。
「パイロット 65」のペン先は中腹辺りから先端に向けて少しお辞儀をしていますが、それが、独特の書き味を生み出しているといわれています。
現在でも唯一カスタムカエデでのみ採用されている10号ペン先は912や742とは設計が異なり少しお辞儀をしています。
上から…
▪カスタム65
▪カスタムカエデ
▪カスタム912
この部分での個人的に衝撃を覚えたのは大坂頴一氏がひとりで6500本ともいわれるペン先のすべてを吟味調製したという記述です。
かつて、輸入万年筆が国内代理店を経由して輸入される際には国内で調整していたというのは読んだり映像を見たことがありますが、1000本を超えるような限定品をひとりの担当者がすべて調整するなどということは聞いたことがありません。
当店で行っている買取査定も含めますと今まで多くの数の「パイロット 65」のペンポイントを眺めてきましたが、現行品ほど均質ではありませんが、よく整えられたペンポイントをしています。
これらをすべて検品調整するなどということは想像するだけで気が遠くなってしまいます。
形状としては現行の円にちかい形ではなくやや細長く、書いた感じも筆跡も現行のものとは感じが異なり「パイロット 65」から「カスタム 74」の登場辺りまではパイロットはこの系統が続いている印象です。
▪ペンポイント
その全数調製の結果か、元の設計および製造品質か、おそらくはその両方の合わせ技か…
いずれにせよ前篇にも書いたように私はこの書き味に衝撃を覚えました。
純粋な柔らかさでいえば、後発の70周年記念やフォルカンペン先の方がはるかに柔らかく同時代のエラボーと比べても「パイロット 65」のペン先は若干硬いと思う方が多くいわゆる軟字ではありません。
また字幅もほぼ中字しか用意がなく、中字のペンポイントの大きさはぬらぬらとした書き味を提供してくれるわけでもありません。
それでも硬いわけではなく、ものすごく柔らかも無くまさしく説明書の通り独特の弾力なのです。
その軸重量とバランスも含めて、絶妙な、適度な柔らかさが書いている手を伝ってくるのがよくわかります。
万人に受ける書き味かはわかりませんが、紙に触れたときの感覚、書いているときの楽しさ、奇を衒うのではなく、実用を突き詰めた結果、そこに至ったかのような用の美といえるのではないでしょうか。
私個人は、国産万年筆が生み出した史上最高のペン先の一つだと考えています。
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チップフィルペン芯は、当時珍しかった二重ペン芯となっており、74以降のカスタムシリーズにも引き継がれているものです。
ペン芯比較左から…
▪カスタム65
▪ナミキ10号サイズ
また現在の「CON-70N」にも使われているプッシュ式吸入機構ですが「パイロット 65」ではじめて採用をされました。
パイロットは国産メーカーには珍しく数多くの吸入機構を試作し生産しているメーカーで、この「プッシュ方式」もパイロット独自の吸入機構です。
万年筆における吸入式は、いかにタンク内の空気を押し出し空気圧を利用して吸入するかですが、この方式は内部の細管から空気を押し出し空気圧を利用してインクを吸入している独特の構造です。
この些かトリッキーな吸入方式が、現在でもコンバーターとして市販されているのは、パイロットのものづくりへのこだわりを感じさせます。
“万年筆を愛用される方々のために、あえて吸入式を採用しました。吸入方法は、エアーを利用した「プッシュ方式」で、故障やトラブルがなく耐久性にも優れています。
また、インク量がひと目でわかる透明のインキタンクは、1.5ccの大容量で一気に約4万字を筆記することができます。
さらにペン体の裏側にあるペン芯には、昭和29年にパイロットが世界に先駆けて「インキのボタ落ち」を解決したチップフィルペン芯を組み込みました。
このペン芯は、先端部をインキに浸すだけの先端吸入機構も備えています。”
(説明書引用)
なお「パイロット 65」コンバーターではなく首軸と一体になった吸入式として採用されています。
従って「CON-70」とはパーツの互換性がありません。
この一体構造のプッシュ吸入機構はよくできた構造ですが、さすがに40年の経年により「故障やトラブルがない」とはいえず、樹脂ピストンなどが劣化している場合があります。
すでにメーカー修理は終了していますので、こまめに水洗いをして固着しづらいインクを使うことをお勧めいたします。
基本的には、「CON-70」と大きく変わる箇所はありませんが、現行品よりプッシュノブが長くより大きくストロークが取れるので「CON-70」と比べ軽やかな動作が楽しいです。
プッシュ式は構造上、吸入動作は得意ですがインキを押出すことはやや苦手ですので、内部の細管にインクが残りやすいのが洗浄しづらい欠点がありますが、片手で大容量のインクが吸入できるのは、簡便ですし見た目にも面白いです。
なお現行の「CON-70N」はノブの長さは変わりませんがピストン部材の変更や内部の機構改良により、旧製品の「CON-70」より軽やかな動作を実現していますのでもし両方お持ちの方は比較されると面白いかもしれません。
吸入機構比較上から…
▪カスタム65
▪CON-70旧型
▪CON-70
▪CON-70N
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以上をもちまして全体の解説となります。
この「パイロット 65」というモデルの魅力が少しでもお伝え出来たのであれば幸いです。
…まだありました。
説明書には記載がありませんが、カラーバリエーションとして青及び赤色のボディカラーが製造されました。
このカラー軸は非常に生産本数が少なく滅多と見かけることはありません。
説明書には生産本数についての記載がありません。
シリアルナンバーが「2056/6500」という入り方ではなく、単に「2056」と入るだけで製造本数の特定が困難です。
いくつかの文献で確認をいたしますと、全体で6500本製造され青及び赤色については各20本製造されたとあります。
このカラー軸については、見かける頻度の体感としてもう少し多く製造されたように思いますが、いずれにしましてもとても貴重なモデルなのは間違いなくいずれも深みのある素敵なカラーです。
PILOT 65の主な製品仕様
●品番/FF-3800RR
●ペン先/14金大型ペン
●筆跡幅/中字または太字
●クリップ・鞘リング/22金硬質メッキ
●胴・鞘/AS樹脂
●インキ補給/プッシュ方式(吸入式)
販売価格 38,000円
(説明書引用)
私の思い出からはじまり時代背景、魅力と構造まで全3篇にわたってお付き合いいただきありがとうございました。
個人的な思い入れがとても強く、ある意味では職業としてペンに携わるきっかけになった一本です。
今では「パイロット 65」を手に入れたころより持っているペンもずっと多くなり、自分の嗜好もすこしずつ変わってきましたが、多くのペンを手にしていく中で今でも変わらずペンケースに入れているこのペンを使うときには心が弾み万年筆にはまっていく時の気持ちが蘇ってくるようです。
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【参考サイト】
パイロットコーポレーション.”「CUSTOM」シリーズ ヒストリー”.パイロットコーポレーション
https://www.pilot-custom.jp/history/.2023年9月29日閲覧
パイロットコーポレーション.”「CUSTOM」シリーズ 国内一貫製造”.パイロットコーポレーション
https://www.pilot-custom.jp/feature/process.html.2023年11月29日閲覧
日本筆記具工業会.”<万年筆の歴史>詳細年表”.日本筆記具工業会.
http://www.jwima.org/mannehitsu_web/01rekishi/rekishi_nenphou.html.2023年9月30日閲覧
【参考文献】
浜根大輔.物性研だより第62巻第4号.東京大学物性研究所
https://www.issp.u-tokyo.ac.jp/maincontents/docs/tayori62-4_Part5.pdf.2023年11月29日閲覧
すなみまさみち/古山浩一(2007).『万年筆クロニクル』.枻出版社
アンドレアスランブロー著/すなみまさみち訳(1991).『Fountain pens― 万年筆 Vinatage and Modern』.同朋舎出版
Amdreas Lambrou and Masami Sunami(2012).『Fountain Pens of Japan』.Andreas Lambrou Publishers Limited
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